私がなぜFXをするようになったのか自己紹介がわりに書き記したいと思います。
私は50歳も過ぎた、いわゆる世間的にはおやじといわれる世代です。
FXを始めたのはちょうどリーマンショックがあった年です。
あのころはキャリートレードといって、クロス円で買いポジをもっていれば、大体多少マイナスをくらっても放置しておけば毎日の金利+そのうち価格がもどってくるというおそろしい時代でした。
たとえば、今でも人気があると思いますが、オージー円などは、指標でわるい結果が発表され、一時的に2円ぐらい下がってもその日のうちにプライスがもどってくるという、価格が少しでも低くなったら買いのパワーがひたすらわいてくるような時代です。
私も御多分に漏れず、そりゃいいや、ということで安易に飛びつきました。
ちなみにそれまでは投資のとも知らないような超初心者でした。
まあ、飛びついたのにもわけがありまして、元は自営で商売をしていました。ただ、その商売が資本がどうしても必要とされる商売だったんです。
両親はごく普通のサラリーマン家庭、担保にいれるような不動産もとくになし、親戚全員に頭下げてまわってかき集めてもすずめの涙というような商売です。
ちなみにこの商売で銀行などから融資をうけたこともありますが、だいたい言われるのが利益率が商売の中でも最低ランクに位置するような商売なので大変ですね、といわれる始末です。
商売自体は小さいながらに好調でした。
当時契約していた顧問税理士からは、資本が少ないのに驚異的な売り上げで驚かれましたから。
といっても、そのように褒められても限界を感じていたのは事実なんですね。
それと世の中の景気も良くない方向にいってましたし、そもそも日本の人口が減っていく中で絶対的需要がなくなるとはいいませんが、すくなくなっていくだろうな、と考えていました。
そこで、その商売を続けながらも、できる新たな収入として始めたのが最初です。
あとは、年齢的に限界もありませんしね。
将来の年金はあてにできないことはわかっていましたし、これから日本はどんどん弱者に対して厳しい、いいかえれば余裕のない社会になっていくのは目に見えていましたから。
なかなか理論的でいい考え方をしていたと思います。小遣い稼ぎなどというレベルで考えていませんでしたから。
ただ、そのあとの稼げるようになるまでの道のりは半端なく険しい道のりでした。
よくあるパターンといえばそれまでなのですが、負けて負けて負けまくって少しだけ勝ってという状態が続きました。
そりゃそうですよね、インジケータというのがあるさえ知らなかったのですから。www
で、初心者向けの本などをちょっと買ってきて、へ~そんなのあるんだ、と読みながら、一通り読み終えたらトレーダーとして華々しく再デビュー、それでまた玉砕という連続でした。
そこで、ある日、商材というものに出会います。これがいけなかった。このときにきちんと教えてくれる人に教えてもらうなりしていれば、また話は違ったのでしょうが、そこで私は大きな勘違いをしていたのでした。
”利益にならないのは自分の見方が悪いせいだから、なんか矢印とかでるやつでトレードすれば勝ちまくれるかも”なんて・・・・。
今思えば完全に商材販売者のカモです。それもかなりの量のネギしょってました。
新発売といえば、販売ページをみて、成績に驚愕し、カード払いにしとけば支払いは翌月だから、今の資金で利益をうみだせば余裕ではらえるじゃん!という今考えても、バカまっしぐらです。
それで覚えたてのMT4にインストールして、過去チャートをみれば、スケールをあてて、矢印から矢印まで、すっげ~利益になってる、これで月曜日から爆益街道まっしぐら、さて、どうやっておかねつかおうか、という計算ばかり。w
この繰り返しをかなりの数こなしていましたね。その間にも軍資金はみるみるうち減っていき、追加入金の嵐でした。
おそらくトータルで商材に突っ込んだ金額は100万円はくだらないと思います。当時は大体インフォトップなどでひとつ4,5万円はしましたから。
あの手の特徴なのですが、大体はトレンド相場を抜き取って説明しているんですよね。いいかえればどんなインジでも方向性さえ間違っていなければ誰でも利益がとれる動きのところというわけです。
今ではそんなこと気付いてますが、当時の私はバカ丸出しでした。
これさえ買えば、明日から爆益街道まっしぐら~と思ってましたから。
そんなことを数年ずっと繰り返していました。
で、ある日なにげない出会いだったのですが、どこの掲示板だか忘れてしまいましたが、本物の億トレーダーと親交ができたんですね。
はじめは教えてくれなかったのですが、ある日お酒でも飲んで気がおおきくなっていたのでしょうかね、チャットをしていたら、教えてもいいよ、と返事があったので、速攻キャプチャーしましたよ。w
いわゆる私にも師匠がと呼べる方が現れました。
しかし、その師匠は今になってみればなかなか厳しく、内容としては金稼ぎたければデモはやめろ、とりあえず負けてるんだから、自分の考えは捨てろ、1年間は最低頑張れ、と最初に言われました。
私も最初は大いに迷ったのですが、これでだめならもうだめでしょ、と思い言われたとおりにやることにしました。
今でも空いた時間があればチャートをみてますが、だいたいそのころは一日16時間ぐらいはチャートを見続けていました。
で、私の師匠の方は、すべて教えてくれることはけしてなく、ヒントはくれるのですが、あとは自分で考えてみろ、というタイプでしたので、それはもうひたすら考えました。
まるで、昔の職人を育てているのかといわんばかりの指導方法です。
でも、私も背水の陣でしたから、もうがむしゃらにチャートを眺めてひたすら考えましたよ。
今まで蓄積した知識はなにも役に立たないということもこのとき知りました。
チャートをみて後講釈ならだれでもできて、テクニカルを当てはめて第3波がどうしたこうしたとか、説明はだれでもできることもこのとき知りました。
最初は苦しいだけでしたけど、やがて、成績が月で微益で終われるようになってきて、やがて利益が残ってくるようになりました。
もちろん、ずっと、師匠からはヒントだけで自分の考え方を師匠に披露しては、完全撃破され、また、考えて、ちょっとはましかな、といわれ、来る日も来る日も鍛錬というか勉強というか修行していました。
で1年ほどたったころ、ちょっとやってみな、と言われて一月ほど師匠にもなにも聞かずに完全独力で全トレードをし、それが終わったころ、師匠から履歴を見せてみろ、といわれて、ひとこと、OKとだけ言葉をいただきました。
最初意味がわからなかったのですが、もう大丈夫でしょ、という意味だったのです。つまり合格ですね。
ただ、師匠にその時言われたのが、私の100%コピーは絶対にできないから、自分なりのエッジをみつけないと絶対にダメだよ。と
それ以来、自身ですこしづつチャートを改良しながら今にいたります。
週単位でマイナスもなくなりましたし、月あたりでのマイナスはここ数年ありません。
実際に師事しているときはつらかったこともあるのが正直なところですし、不安もありましたが、今となっては師匠は私にかけがえのない力を与えてくれた方だったのです。もう感謝しても感謝しきれません。
で、今はFXで生きていくことができるようになりました。
ときどきですが、師匠から連絡があり”今、どんなポジションもってるの?”という質問をいただきますが、私に聞いてどうすると思いながらも話しています。